PLUSi Vol.21
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137第3部 論文(6)遣事業」が始まった21。一見環境が整備されたように思えるが、実際は依然として手話に対する聴者の認識の低さなど、様々な問題があった。このことについては、次章で観光の事例と合わせて説明する。 現在の手話通訳士制度は1981年(昭和56年)に制度化の検討が始まり、1989年(平成元年)に初の手話通訳士試験が実施されて始まった。1981年(昭和56年)の新聞記事には、「資格認定方法は自治体によりマチマチ」「ボランティア活動では限界」など手話通訳奉仕員の問題点が示されている22。しかし、初の手話通訳士試験が行われた1989年(平成元年)の新聞記事では、手話は重要かつ専門性が必要だと理解されるようになったことが分かる23。 以上、本節では手話通訳士の歴史を辿ってきた。制度開始以前、手話通訳はボランティアや奉仕活動として認識されており、手話技能を問う検定試験が導入された1970年以降も、「手話通訳奉仕員」の名に表れているように、ボランティアの意味合いが強かった。しかし、「奉仕員」としての手話通訳はろう者にとって不便なものであったことが分かり始め、1989年(平成元年)に手話通訳士の制度が開始した。第2節 テレビ番組がもたらす手話ブーム 本節では、手話ブームと、それを主に作り出してきたといえる、手話を扱うテレビ番組に焦点を当てる。1960年末から1995年頃までで3度起きた手話ブームにどのような特徴があるのかをまとめ、ろう者は手話ブームをどのように捉えているかについても論じていく24。(1)第1次手話ブーム 第1次手話ブームが起きた1960年代末から1970年代初めは、前節で述べた手話通訳奉仕員養成事業が始まり、手話サークルも全国各地で誕生し始めた時期である25。また、「手話の単語集が初めて出版され26」るなど、手話が徐々に聴者の生活に登場し始めるようになったことで、手話ブームが起きたと考えられる。筆者の調べた範囲では、第1次手話ブームにおいてテレビ番組と手話ブームの関連性は見られなかった。(2)第2次手話ブーム 第2次手話ブームは、1981年(昭和56年)の国際 障害者年前後である。国際障害者年とは、「障害者の『完全参加と平等』をテーマとし、その実現を目指して、すべての国連加盟国が行動をおこす年とされている27。」そして、「障害者が広く積極的に社会に参加、貢献すること」を大きな目標としている28。 同年には高島屋、西武デパート、伊勢丹など各デ パートで手話講習会が行われているが、第2次手話ブームの直接的原因は国際障害者年とは別にあると考える29。なぜなら、前年1980年(昭和55年)から「国際障害者年」に関する記事は見受けられるものの、資料2の通り、当事者以外の認知度はいまひとつであったからである。 では、なぜ第2次手話ブームは起きたのか。第1次手話ブームから第2次手話ブームまでの約10年間で、テレビ番組へ手話が導入されたことが理由だと考える。 1974年(昭和49年)1月、静岡テレビが製作した「ワイドインしずおか」で日本のテレビ史上初めて21 神田・藤野編著/植村著(1996)pp.103~10422 朝日新聞(夕刊)1981年(昭和56年)9月16日「奉仕活動では限界 通訳の制度化検討 厚生省」23 朝日新聞(朝刊)1989年(平成元年)11月27日「初の手話通訳士試験 450人が受験 東京会場」24 朝日新聞(朝刊)1995年(平成7年)8月31日「若い世代に手話ブーム サークルに入会者続々 ドラマの影響か/群馬」25 日本初の手話サークルは、1963年(昭和38年)の京都市手話学習会「みみずく」である。 京都市手話学習会「みみずく」HP「京都市手話学『みみずく』とは」(公開日不明) http://www.mimizuku-kyoto.com/about(最終閲覧日2024年1月27日)26 朝日新聞(朝刊)1995年(平成7年)8月31日「若い世代に手話ブーム サークルに入会者続々 ドラマの影響か/群馬」27 朝日新聞(朝刊)1981年(昭和56年)1月1日「国際障害者年を迎えて」28 同上29 朝日新聞(夕刊)1981年(昭和56年)9月16日「手話を身近に デパートが研修会 お歳暮めざし店員さん特訓中」

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