135第3部 論文(8)る。 以上のことから、手話通訳者の増加と、第2次手話ブームの傾向が読み取れる。第1次手話ブーム以降、手話サークルや手話講習会という「手話を学ぶ基盤」が全国で完成、拡大傾向にあった。その基盤の上で、地方のテレビ局を筆頭に、テレビ番組でも手話通訳を取り入れ始めた。テレビ番組は大衆に手話の存在を知らせる機会となり、番組をきっかけに手話に興味を持ち、手話を学ぶ人が増加したと考えられる。この現象が、第2次手話ブームに繋がったといえるのではないだろうか。(3)第3次手話ブーム 最後に、第3次手話ブームについて述べる。第3次手話ブームは、1995年(平成7年)の、手話が使用される2本のテレビドラマがもたらした。 第3次手話ブームのきっかけは、1995年(平成7 年)の4月から日本テレビ系で放送されたテレビドラマ「星の金貨」である。主人公は「耳と口が不自由な看護婦」で、全編を通じナレーションも一切なく、手話が用いられた39。この特別編放送の翌週には、視聴率15%を超えて人気を集めた40。もう1つの作品は、同年7月から始まったTBS「愛していると言ってくれ」である。「ろう者の新進画家(豊川悦司)と女優の卵(常盤貴子)が恋愛を通じて成長する」物語で41、「視聴率は上向き」。8月25日放送回の視聴率は関東24.9%、関西19.5%(ビデオ・リ サーチ調べ)までになった42。 第3次手話ブームは、朝日新聞を見る限り、最も盛 り上がった手話ブームであったといえる。例えば、手話の「手引書や解説ビデオの売れ行きが急な伸びを見せ」たり43、手話サークルや手話通訳養成講座への申し込みが殺到したりしている44。一方で、手話サークル運営者や手話通訳者は、第3次手話ブームを冷静に見ている。群馬県前橋市の手話サークル「みつばの会」の滝澤氏によると、このブームで手話サークルに入会した人の中には、「二、三カ月でやめてしまう人も多い」という45。また、ろう者の米内山氏は手話ブームを起こしたドラマについて、「ろう者の側には現実を十分には反映していない46」と述べている。手話ブーム以前からの手話学習者やろう者にとって手話ブームは、手話通訳者不足など直接的な問題解決には繋がりにくいことや、ブームをけん引したドラマは、ろう者本来の姿を描いていないことを挙げ、第3次手話ブームを批判的に捉える人も多くいた。 また、Kさんはインタビューの中で、手話ブームによる手話サークル入会者の増加に対して、「手話がブームとして見られることにカルチャーショック39 朝日新聞(夕刊)1995年(平成7年)3月28日「タレントの酒井法子 目標は手話の達人」40 朝日新聞(夕刊)1995年(平成7年)6月28日「討論イベントや映画館でCM TVドラマ、宣伝に新手」41 朝日新聞(朝刊)1995年(平成7年)7月31日「『聞こえぬ世界』へ誘う ろう者描く作品次々」42 朝日新聞(夕刊)1995年(平成7年)9月2日「手話、人気ドラマでブーム TBS系『愛していると言ってくれ』」43 同上44 朝日新聞(夕刊)1995年(平成7年)11月21日「若い女性に手話ブーム 人気ドラマが火付け役」、朝日新聞(朝刊)45 朝日新聞(朝刊)1995年(平成7年)8月31日「若い世代に手話ブーム サークルに入会者続々 ドラマの影響か」46 朝日新聞(朝刊)1999年(平成9年)1月3日「聞こえない世界、リアルに描く ろう者と健聴者が共同で映画」1996年(平成8年)5月19日「手話通訳養成講座に10倍超える応募 受講者は抽選で 尼崎」【資料3】朝日新聞(朝刊)1977年(昭和52年)8月20日
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